兵庫高校山岳部

2019年 夏山合宿

行き先:立山
1日目:やっすん
前日に持ち物を1個ずつ皆で確認しながらパッキングした。
夕方、私はもう一度学校へ登校し、あかねんともっぴーと3人でザックを持って、色々ありつつも、ちゃんと皆集合場所に時間通り着いた。驚いたのは1番に集合場所に着いていたキムのザックが縦1m弱にまで巨大化していたことだ。
その後は電車の乗り換えも上手くいき、無事梅田駅に着いた。あかねんと2人でずっと緊張をほぐし合っていた。
JRバスに乗る1年男子2人と別れたあと、阪急バスターミナルでバスを待つ間、1年男子4人がザックの周りにしゃがみこんでUNOをしていた。
無事バスに乗れた。寝たいという気持ちは十分あったのだが、あまり寝付けなかった。
ごめんなさい、出来事が移動しかなくて全然書けなかったです。



2日目:たってん

朝はみんなバスのアナウンスで起きたようだが、私は全然眠れなかったので少し前から起きていた。こんなに眠れていなくて大丈夫だろうかと心配するほど眠れなかった。カーテンを開けてみると、外には真っ赤な丸い太陽が見えてきれいだった。

バスターミナルに着いて、電鉄富山の待合所でJRバス組を待ちながら、朝食をとった。電鉄富山駅から立山駅までの電車は揺れがとても激しく、危うく酔うところだった。しかしバスでほとんど寝ることができなかったので、無理やり寝た。次にケーブルカーに乗ったが、私は乗るのが初めてだったので、少し楽しみにしていた。でも、乗車時間が7分だけだったのでちょっとがっかりした。そしてすぐにバスに乗ったが、窓の外に見えた、これから登るであろう山がとてもきれいで何枚も何枚も写真を撮ってしまった。そんなことをしているうちに室堂に着いた。先頭を私とキムのどちらが行くかという話をずっとしていて、室堂までは私だという話になっていたのだが、その場の雰囲気でキムに決まってしまい、とても安心したのと同時に申し訳なく思いながら出発した。

室堂から雷鳥沢キャンプ場に着くまでにある、ミクリガ池に景色が映りこんでいてとてもきれいだった。ミクリガ池を過ぎてからものすごく長い階段が出てきて、キムが「万里の長城感が否めない」と言っていたが、確かにそうだと思った。雷鳥沢キャンプ場の手前まで来ると、廃墟のような建物が見えてきた。だが、位置的に雷鳥沢ヒュッテだと分かり、本当にここで温泉をやっているのかと疑問に思った。しかし、後に私はここで原価は700円だが、1500円払ってもいいと思えるほど気持ちいい温泉につかることになる。

出発から1時間ほどたち、雷鳥沢キャンプ場に着いた。まずテントをたてたが、すごく時間がかかってしまった。自分の仕事ばかりになってしまい、1年生にしっかり具体的な指示を出せなかったからだと思う。次の合宿では全体をみて指示を出せるようにしたい。

天気予報で雨が降りそうだと出ていたので、奥大日岳まで行くはずだった予定を変更して新室堂乗越しまで登って折り返すことにした。新室堂乗越しまでの道はがれきが多く、雪がまだ残っているところもあり、滑りやすかった。上から降りてくる他の登山客が私たちが登りやすいように避けてくださったので、お礼を言いつつ登り新室堂乗越しに着いた。そこからは雷鳥沢キャンプ場が見え、自分達のテントもはっきりと分かった。多少雲はかかっていたがきれいな景色だったし、チングルマなどの高山植物も見れた。また、明日から登るルートをキムが説明してくれた。地図では何回もルートを確認していたが、実際に見てみるとやはりかなりきつそうに見えた。

そしてキャンプ場まで戻ってから、みんなで近くの川に行った。川の水は思っていた何倍も冷たく、足をつけようとしていた男子たちも諦めていた。そのあとは各々休んでいたが、私はキムと鳴門とやっすんと4人でUNOをすることになった。テントの側のテーブルで談笑しながら進めていたが、やっすんがカードをひくことが多くなり、不機嫌になっていった。ネタでやっていたのだろうが、正直私は怖かった(笑)。

自由時間が終わり、ミルク鍋とマッシュポテトを作る係に別れ、どんどん作り始めた。今回はキムがレシピを書いた紙を作ってくれていて、次に何をすればいいのか分かりやすかったし、1年生にも指示が出しやすくて本当に助かった。出来上がった料理もとても美味しく、片付けも素早くできたと思う。

就寝まで時間があいたので、またあの4人でテーブルで話していた。すると、夕日で周りの山がオレンジ色に染まり、きれいな写真を撮ることができた。それから陽が暮れるまでは早かった。この日は流星群がくるといわれていて、鳴門が色々説明してくれたので、とても楽しみにしていた。寝る準備を早めに済ませ期待して待っていたが、空はどんよりと曇り、星すら見えなかった。就寝時間の5分前まで粘ってみたが、結局何も見えなかった。もっと見ていたかったが、次の日は縦走だったので大人しく寝ることにした。



三日目:鳴門
ついに夏山も三日目です。三日目担当は鳴門でございます。よろしくです。今回は日によって書く人が変わるということでジェットコースターみたいな感想文になると思いますがあしからず。謎に前置きをしてしまいましたが本編どうぞです!



 目が覚めた。まだ誰も起きていない。もう起床時間の四時半かと時計を見る。ところがどっこい時計は二時半を指していた。ついに時計が壊れたかと思ったが外の様子とかみんな寝てることとか考えるとどうやら時間はあっているらしい。

僕は生理的現象及び動物的本能によって目が覚めたみたいだ。ふと秋山を思い出す。あのときは我慢したけど結局無理で闇夜を走っていったんだっけ? 今回は我慢せずにすぐ行った。人間それが一番。

帰りに幽かに見えた曇り空はどこかすごい圧迫感があって少し怖かった。今にも雲が落っこちてきて僕たちを襲ってしまうような、そんな気がした。それでもテントに戻ってシュラフに入ってからすぐに眠りに堕ちた。


 目が覚めた。本日二度目だ。合宿のときはアラームがなる少し前にいつも起きるのでアラームの意味がないように感じてしまう。まぁそんなことはどうでもいい。準備をして早々に外に出る。

今日の朝食には急がねばならぬ理由があった。それは遡ること約十二時間前……マッシュポテトを作るのに水の量調整に時間を喰い完成までに一時間かかったという事件があった。そして今朝の朝食ではその二倍の量のブツを作らなければいけないのだ。流石に朝食づくりに一時間以上かけるわけにもいかない。調理時間の短縮などの課題もあるこの朝に実はこの鳴門、並々ならぬ思いを抱いていた。

水を沸かせ粉末状であるマッシュポテトの素をフライパンに少し入れる。水が沸き上がればフライパンにちょっとずつお湯を入れてしゃもじで全力でかき混ぜる。混ぜては入れ、混ぜては入れを繰り返した。

……………………

やってみるとことは簡単に済んだ。昨日の慣れもあったのか思いの外早くにブツを完成させることができたのだ。もう一つの朝食、オニオンコンソメスープを頂きながらマッシュポテトを口に入れる。今日の山場はこうして呆気なく終わりを告げた。それにしてもスープがおいしい。温かい。ここにはいないオニオンをどこか思い出させてくれる味だった。

 荷造りも早々に終わらせていざ出発ということになった。まずは今回のコースをサラリと言うと我らが雷鳥沢キャンプ場を中心に半円を描くよう、尾根上を縦断していく感じだ。

まずはスタート地点の一ノ越に向かう。スタート地点と言ってもここから一、二時間はかかる。なお途中までは室堂に向かう道と同じだ。

二日目と五日目でも同じルートを通ってるし感想はそっちに書いてるだろうなんて甘えてみる。五日目なんてそれ以外に書くことは富山駅前での休憩くらいしかなさそうだし……。それに同じルートの感想なんて読んでる側からしたら面白くないだろう。別に書くのが面倒くさいとかそんなんじゃない。そんなんじゃないよ! まぁ一つ言っておくなら道中の硫黄の匂いは香ばしかったなぁ〜。

というわけで一気に室堂まで来ました。ここまで小一時間程。ここから山の方に逸れていき山崎カールへと入っていくのだが……ここでカールとは何か少し説明を……。別に髪の毛の特徴でもお菓子のアレでもない。ここでいうカールは言うなれば氷河の跡みたいなもの……。今は溶けて氷河なんてないけれど変わりに氷に削られてできたU字のような谷になっているのでございます。ここに昔、氷河があったんだ! って感動してしまう僕はおかしいんでしょうか?

このカールを登りきった稜線上にあるのが一ノ越。途中、夏なのにまだ残っている雪渓の上を歩きながらも着実に歩みを進めていく。ふと後ろを見ると小学生か幼稚園児かが集団で登ってきていた。確かに道は舗装されていて険しいわけではないけれどこんなところまで来るんだ……と少し心配してしまいました。

カールに入ってから一ノ越までの中間地点を過ぎたあたりでこれまで山陰に隠れていた雷鳥沢キャンプ場が見え始めた。テントが米粒のようだ。もう人は見えない。それにしても凄いのは僕たちのテントがどれなのか一目で分かること。赤い六テンが三つ並んでたらビックリするくらい目立つもので……。しかもキャンプ場の真ん中辺りに建てましたからね。下手したら衛星からでも見えそう。

道は舗装された道を抜け、砂利道となっていった。途中雪渓をいくつか通り抜ける。遠くから見れば雪渓は平らに見えるけど近くで見るとボコボコでまるで海面に立つ波みたいだ。凍った海の上を歩いているような、そんな不思議な感覚がした。

時々振り向いて後ろの幼稚園児か小学生の集団を確認しながら登っているといつの間にか一ノ越についていた。遮るもののない稜線上ということもあって風が強く吹き抜けている。飛ばされそうってほどじゃないけど普通に寒い。今回の合宿で一番寒かったと思う。一通り景色を見回してからトイレの影に隠れて風を避けることにした。別に変な意味じゃない。単純にトイレ舎を盾にしただけだ。

しばしの休憩を挟んで雄山へと登っていくこととなった。今回の合宿の最高点だったと思う。ここからはさっきみたいに舗装とか整備された道じゃなくてガレ場のような崖のような場所を登り続けていく。

僕は結構ワクワクしていた。崖上りは結構好き…………だったはずなんだけど……。下を意識して怖くなってしまった。落ちたら確実に死ぬやつじゃん! あぁ……。自分は高所恐怖症だと確かに分かってたんだけど山では大丈夫と思ってました。下を見てみればさっきの小学生or幼稚園児集団が一ノ越まで来ている。流石にここまでは来ないよね、と思ってたら無事にそこから引き返していました。あんなに小さい子をこんなところに連れてきたらモンスターペアレンツでなくともクレームものだ。

その後も慎重に歩みを進めていき、ちょっとずつちょっとずつ山頂に近づいてきた。ところがここで事件発生! 輸送ヘリコプターがやってきたのだ。事前告知もあったので大丈夫ではあったけれどやめてほしい。ただでさえ怖いのにそんなことされたら軽く死んでしまう。それにしても技術が凄かった。よくあんな場所に空中で止まってられるなぁなんて……。ちょっとでも逸れたら大事故でっせ。

そんな山頂手前で待ち受けていたラスボスを乗り越えて僕たちは山頂に着くことができた。山頂はちょっとした広場みたいになっていて神社も建てられている。と言っても崖の上で狭いので僕は広場のできるだけ真ん中のほうによってかがんでいた。

山頂、と言うけれど本当の頂は更に上にある。ところがなんとそこに入るのにお金がいるというのだ。鳥居をくぐって少し階段を登ったところの山頂には祠が建っていた。普通に見えるし高さもそんなに変わらないので僕は行かないことにする。一年生は殆ど行っていた。金持ちで羨ましい。少し分けてほしいところだけれど後輩にお金 をたかるのはまずいので諦めた。

あんなの行ったところで意味の分からないお祓いを受けるだけだろうになんて負け惜しみを言う。祠には微かに雲がかかってきていて見えている青空が映えた。この風景を見るとどうしても強く願いながら鳥居をくぐったら天気の巫女にでもなれそうだと感じてしまう。まぁ僕は男だしその時点で巫女は難しいか……。

なんて思いながら予備食のピーナッツをむさぼっていると一年生が帰ってきた。あれはお金が払う価値があるなどと言っている。あんなとこなんかよりもずっと高いところ行って雄山にざまぁみろと叫んでやるからな! 待ってろよ! と、捨て台詞的な何かを僕は心の中で吐いた。実際に言えないあたり小心者である。

雄山神社に微妙な感情を抱きつつも出発の準備を進めているとバタバタバタと呪いの音が近づいてきた。やがて体が鉄に塗装された化け物が突如として雲の中から現れた。突然吹き荒れる強風。目に入る砂。頭に響く轟音。そして僕たちに隙を見せることなく化け物は去っていった。これが有名なヘリコプター急襲事件である。目に砂が入った僕は暫く目を開けられなかった。あんなやつなんかよりもずっと高いところ行ってヘリコ……(以下省略)


こうして後味が悪いまま雄山を後にした僕たちは次の休憩場所、大汝山を目指した。これで高所恐怖症も大丈夫な道になると思っていたのだがその予想は呆気なく外れた。足を踏み外せばこれまた死ぬであろう道が続いた。これはちょっと精神的にきつい。途中ヘリが近くまで来たときは本気で遺言を考えた程だ。風こそ来なかったがかなり近かったと思う。

チラッと目に入る景色はたしかにきれいだけどそんなのに目をやっている暇はない。他の人がこの感想書いていたものならばもう素晴らしい語彙力と共にこの景色をお届けできたと思うのだが、残念ながら書き手は鳴門だ。基本、地面にしか目をやっていない。砂利、石、岩と時々生えている草が僕の世界。端の方に見える道の切れ目はきっと気のせいだ。先生は高さを意識しないように地面だけを見ていれば大丈夫と言ってくれたけれど、こう道が狭いとどうしても高さが視界に入ってきてしまう。なんたって僕は寄り目ができない。それでも少しはマシになった。

そういや雄山の広場で道の切れ端の方まで行って「ここも無理?」と聞いてくる人がいたっけ? あの人は何か大切なものを失っている気がする。あれで怖くないなんて空でも飛べない限りありえない。もしかしたらあの人は空を飛べるのだろうか……。非常に羨ましい。

なんてことを考えて気を逸しながらも早く着け、早く着けと願って、ようやく大汝休憩所付近に着いた。付近というのは直前に寄り道をしたからだ。どうやら展望の良いところがあるらしい。僕の場合展望の良い=死を表すのだが気にしては負けだ。ここで行かないと後悔する気がした。

ということで岩場を登って展望の良いところへ向かう。展望ポイントには一分もかからずにたどり着いた。黒部ダムが見えると聞いたが雲に隠れてほとんど分からない。微かにそれっぽいのは見えたが思っていたのと違う。少し残念……。まぁ良い。怖いのですぐポイントを去って休憩所へ行くことにしよう。


 休憩所は売店にもなっていた。500mlが400円程。流石、泣く子も黙る高さだ。山岳部ではこの追加料金のことを位置エネルギー代と呼んでいる。ここでもピーナッツをむさぼって、それから出発した。去り際にヘリが来たけどもう慣れた。何度も同じ手には乗らないぜ、化け物さんよぉ。

ここからも険しい道が変わることなく途中には富士ノ折立とかいう富士山要素皆無のゴツゴツ岩を乗り越えた。アレの一体どこが富士山なのか……。もしかしたら別に富士山は関係ないのかもしれない。逆に富士山登った人でも折り返すくらい険しいとか? 適当です、ごめんなさい。気になる人は調べてみて下さい。

この富士ノ折立を超えるとだいぶ道は楽になった。落ちても死なないだろって感じなので恐怖は消えた。水蒸気が山肌をなぞって雲が出来ていくのが目の前で起こっていて何か凄い。いわゆる語彙力の喪失である。

恐怖も消えたのでここで景色を伝えれると思ったのだが記憶には真っ白な景色しか残っていない。ここに来てどうやら雲一色だったらしい。つくづくツイてない。結局、休憩ポイントの真砂岳まで雲ばかりだった。それにしても本当に山肌がなだらかだ。さっきまでのゴツゴツはどこに行ったのだろうか。

真砂岳で給水休憩といった感じで短めの休憩を取ると次のポイントの別山に向かった。剱岳が見えると聞いているがこの雲一色では期待できない。

なだらかな道を少しばかり進んでいくと別山山頂が見えた。結構近く見えるのだがどうせ遠いのだろう。見晴らしが良いのは確かに景色が良くて助かるのだが目的地が目に入ってきて距離がパッと分かってしまうのは辛いところがある。

しかも目的地まで途中、かなり急な上り坂がある。なだらかな道も終わり急勾配に差し掛かった頃、硫黄の匂いが風に流されてきてほんのりと鼻の中に入ってきた。さっきからピーナッツをむさぼっているだけだからなのか僕は無性にお腹が空いてしまった。この硫黄の匂いさえも美味しいと感じて空腹を更に駆り立ててしまう。なんか卵的何かが頭の中にモワモワと浮かんでくる。

更に登って硫黄の匂いも消えた頃、ついにただの空気でさえも美味しいと感じてしまうようになった。よく言う空気が美味しいとかいうアレではなくて食べ物的な美味しいだ。そろそろ僕は重症かもしれない。

それでも案外早くに別山に着くことができた。案の定、剱岳は雲に隠れて見えない。一部は見えるけど肝心の山頂が見えないのだ。山頂から少し行ったところに北峰というのがあるらしいがそっちの方がよく剱岳が見えるらしい。もちろん僕は行かない。こんな状態で行っても地面の様子が変わるだけだ。視界は白一色、それに変わりはない。それでも部長とまっすーの二人は北峰に向かっていた。二人とも雄山の真の山頂には行ってないメンツだ。あのときの鬱憤を晴らしたかったのだろうか?

北峰に向かった二人はまもなく深い霧の中に消えていった。二人が行ってからまもなくして雲隠れ状態は最大になった。もはや北峰に向かう途中の道も見えない。剱岳はすべてが覆い隠され視界の先に何があるのか全くわからなくなってしまった。

仕方なく手元の地図を見るとちょっとした事実に気がついた。濃い霧に囲まれてもまだ見えるほど近くにある4×4m位の水たまりが実は日本で一番標高の高い池らしい。なんかすごい気もするけどそれ以上ではなかった。なんせ見た目が地味だ。サイズ感は水たまりだしすぐ近くにある雪渓の方がでかくて池という感じがしない。

そんなことを思いながらもピーナッツをむさぼる。休憩毎にピーナッツをむさぼる僕はもしかしたらピーナッツ怪人なのかもしれない。しばらくして北峰遠征隊は帰ってきた。どうやらなにも成果は無かったらしい。ホワイトアウト状態だったとか。それでも二人が帰ってきてすぐに晴れ間が出来て剱岳を目にすることができた。完全じゃなくてどこかが隠れてはしていたけれどまだマシだ。

剱岳というからもっと槍ヶ岳みたいに尖っていると思ったら山頂は意外とそうでも無かった。どこが剱なのかと思っていたのだが山肌が尖っていたのでそこからだろうと勝手に結論づける。どうでもいいけどここで筆者は剱岳の剱を劔と誤字っていた事に気がつく。地味に直すの大変でした。まる。

それにしても随分筋骨隆々な山だ。どう鍛えたらそうなるんですか?

まぁそんなことはどうでもいい。集合写真を撮ってから別山とお別れをした。結局最後まで剱岳の全貌を拝むことはできなかった。別に明日は一服剱があるのだからそこで拝めばいいと割り切る。そこでも見えなかったら発狂します。

ついにゴール目前の剱御前が次の目的地となった。いよいよ旅も終盤だ。ここまで長かった……。とにかくお腹空いた。早く晩ごはんを食べたい。

ということで足を急がせながらも峰をニつほど越えた。雷鳥が出そうな雰囲気だったけど彼は現れなかった。何度かただの岩を雷鳥に見間違えたほどなのだから、よほど自分は雷鳥を見たかったんだと思う。

峰を二つ超えたところ、小屋が見えてきた。どうやら剱御前に着いたみたいだ。ここでは長い間休憩をとった。雲もすっかりなくなって、はるか下に雷鳥沢キャンプ場が見える。ここでも僕らのテントがどれなのか分かった。

景色は最高だった。青く澄んだ空は山々の灰色や緑色によって更に映えていて所々にある雪渓のきれいな白がアクセントになっている。風景のど真ん中には噴煙が上がっていてどこか不思議だ。噴火口を中心に円を描いたように並ぶ山はカルデラみたいだった。ふと目に入ってきた「トイレ使用量:100円」の看板にも風情が感じられてしまう。

僕の語彙力の限界はここまでです。気になる方は写真見て、それでも気になる方は実際に来てみてください。そしたら分かります。これは文では書けない景色だと。


ここでもピーナッツ怪人はピーナッツをむさぼった。しっかり休憩を取って、いざ我々の家に向かう。ここからは雷鳥坂というかなりエグい坂だ。まぁ見ただけで標高差が凄いのは分かる。でも下りだし良いんじゃない? 明日はこれ登るからね?

ということで雷鳥坂を下っていく。ただでさえ急なのにガレ場なもんだから滑りやすい。意地悪な道だなぁなんて思う。一年生達が普段はこけないのに人の前でよくこける説を唱えていた。その後、人の前でよくこけていた気がする。的中率、ほとんど100%だったかな。もうなんかプラシーボ効果な気がした。

それにしても急だ。角度凄いって言っても実際数字にされるとそこまですごくないのだから不思議だ。僕は明日ここを登るのかと絶望していた。実際は案外きつくなくてすんなり行けたというのはまた別のお話。

それにしても雷鳥坂って言うくせに雷鳥が出る雰囲気じゃないのはやめてほしい。半分詐欺ですよ。結局雷鳥は出ないままキャンプ場に到着した。

解散してから近くに流れている川にむかった。暑かったし涼もうと思いまして……。足を突っ込むことも検討したが色々面倒なので手だけにした。無茶苦茶に冷たい。雪解け水!っていう感じがする。本物の天然水っていうのはこのことだろう。水もかなり透明だし。あまりの冷たさに一分も漬けてられなかった。足を入れなくてよかったと一安心する。

 キャンプ場に戻ってからはのんびりしていた。なんせ調理開始は一時間後、することもないのでゆっくりして疲れを取ろうと思っていた。しかしそこに思わぬ刺客が現れる。その名も雨雲レーダーだ。実は昨日、雨雲レーダーでキャンプ場に雨が降ると予想されたのでカレーを諦め、調理が簡単なミルク鍋に置き換えるという事件があった。結局雨は降らずに雨雲レーダーの不信感だけを残していった事件だった。

そんなことがあったので僕はそれがホントなのか少々疑っていたりした。まぁ念の為調理開始時間を一時間繰り上げることにする。ということで急に今すぐ調理開始ということになった。

今日のメニューは昨日作ることのできなかったカレーだ。昨日使おうと持ってきていた生野菜は腐ることを懸念してミルク鍋に入れたのでこのままではカレーに具がないという自体が起こりかけていた。ミルク鍋は具がたっぷりで美味しかったのでそれはそれで良いのかもしれないがこのままではインド人が怒ってしまう。ということでミルク鍋に使うはずだった乾燥キャベツを取っておき、カレーに入れることにした。これでインド人は納得したようでおとなしく帰っていった。

さてここまでルーの話をしたがカレーにおいてもう一つ重要なパーツがある。それが白米だ。僕はそのご飯を炊く担当になっていた。一年生を使っていいそうだが指示を出すのは僕……。何気に一人で炊いたことがないので緊張していた。

ということで一年生を男女一人づつ徴集する。本来ならここで誰なのか書くべきなのだろうがあいにく誰を集めたか忘れてしまった。なんとなくは覚えているのだが間違えてるとまずいので伏せておく。

ということで大コッヘル二つに米を入れる。量が違うなんてことは無く順調に事は進んだ。大事なことだから二回言おう。量が違うなんていうことは無かった。

米を研いでから水を入れて、カートリッジ&ヘッドで米入りコッヘルを加熱する。ちなみにここで僕のスマホのメモ帳の最大文字数を超えたらしい。どんだけ書いたのだろうか?

まぁ、そんなことは置いておくとして僕たちはコッヘルの蓋を上から手で押さえつける。こうしないと水とかが吹き出できて大変なのだ。あとコトコトという振動が無くなるのが炊き終わった合図なのでそれを知るためにも手は離せない。これが結構大変だ。軍手越しとはいえどかなり熱い。蓋の上で手があっちっちダンスを始める。

そういやお米を入れるときに先にコッヘルに水を入れとかないと縁起悪いと言うと誰もそのことを知らなかった。もしかして僕の家だけなのだろうか?

なんて回想していると助手がコッヘルから焦げ臭い匂いがすると言ってきた。まだコトコト言ってるけどたしかに匂いはする。悩ましいところだ。結局怖いので炊きあがったことにした。蒸らすためにも蓋を開けることができないので中が見れないのが辛い。中にカメラでも仕込ませたいところだ。

コッヘルをヘッドから上げると蓋を下にして敷いている新聞紙の上に載せた。それから新聞紙で包み込む。米はいよいよ最終段階の蒸らしの時間に入った。新聞紙で包む理由は未だによく分かっていないが多分保温だろう。もう一個の方もそうしてからはカレーのルーを手伝いにむかった。


    カレーは出来上がった。特に書くこともなかったので急に出来上がったみたいになって申し訳ない。お米の入った大コッヘルの蓋を開けるときはドキドキした。二つともよく炊けていて良かった。これで僕と助手は人間炊飯器の称号を手にした。ルーも美味しい。ちょっと辛かったけれどご飯たくさん入れたので充分だ。

辛いのは別に失敗ではない。単純に僕が辛いのが無理なだけだ。ココイチの普通ですら僕は辛いと言う。お米はと言うと別に硬くもなく水っぽいわけでもなかった。量もこれで全然いい。まるでこの量が正解みたいだ。いや、正解なんだけどねっ!

天気は雲もほとんどなくきれいに晴れていた。これはもう雨雲レーダーが戦犯であることが確定したようなものだ。キムは雨雲レーダーだから雲は来るけど雨は降るとは言っていないと言ってたけど雲すらないのだから言い逃れできない。雨雲レーダーは信じないことにした。


 カレーを美味しく頂き、ピーナッツだけだった胃を満足させることができた。とりあえず大コッヘルを洗う。お米がこびりついていたのだが爪で削り取った。後半は驚く程早くきれいにすることができるようになった。どうやら僕は剥ぎ取りのプロになったらしい。響きが良くない気もするがそんなの知らない。

コッヘルを洗い終わると夕焼けに染まった山を見ながらテントへと向かった。


その後は別になんてことない。普通に駄弁って寝ただけだ。何を話したかなんて書くほどのことでもない。タピオカってホントはマズいだの写真加工はど〜のこ〜のだの現役女子高生たちに喧嘩を売るようなことだった気がする。

それで無事に就寝して今日を終えた。目覚めることなく快適に起床時間まで眠れたので助かった。こうして濃い一日は終わりを告げ濃いであろう明日を迎えるのだ。



三日目はここまででございます。明日は剱岳の一歩手前、一服剱に向かうようです。果たして無事に一服剱に辿り着くことはできるのか! はたまた雷鳥を目にすることはできるのか! 数多の山々を乗り越えた先に待っていたものとは!!

すいませんやってみたかったんです。それじゃあ四日目にバトンタッチ!



4日目。午前4時。:キム
携帯のアラームで目が覚めた。

アラームを止めると、同じテントで寝ているかっぴー、たいち、ながやんが既に身体を起こして身辺整理を始めていた。まじめだなぁ…。そう思っていると、私には少しのどに痛みを覚えた。乾燥している山の上ではのど飴を持って行った方がよいのだろうか。

私はシュラフの暖かさに別れを告げ、行き着く暇もなく、朝食セット(私は前日に朝食に使う食器や食材、共同装備をまとめて出していることにしており、それを朝食セットと読んでいる)を持ってテントの外に出た。外では既に女子が既に朝食の準備を始めていた。どうやら4時にテントから出ていたようだ。朝に弱い私は彼女らに敬意を払いつつ、朝食を作ることにした。

朝食はサラダパスタ。コッヘルにコンソメ、乾燥キャベツ、パスタを入れ、茹でるだけの簡単なものである。しかし、起床から調理完了まで45分もかかってしまった。おそらく、麺であるため、配膳に時間がかかったのであろう。私たちの隊は偶数人であり、コッヘルも2組あるため、次からは2班に分けて配膳したほうが良いであろう。

サラダパスタには最後にオリーブオイルを入れるのだが、片つけのときに少し調味料セットの中にこぼしてしまった。好奇心で少し舐めてみたのだが、ものすごい味がした。あの味が植物から生まれるものであろうか。オリーブオイルいうより重油である。良い子も悪い子もまねをしないでほしい。

日の出後にテン場を出た。昨日下った雷鳥坂を上るのだ。昨日の時点で少しうんざりしていたあの雷鳥坂をである。
この合宿中私は隊の先頭を務めたのだが、歩きなれた六甲山での先頭と違い、ガレ場での先頭は非常に気を使うものである。後ろとの間隔に気を配りながら、足元の岩に注意しつつ数m先を見て通りやすいところを点にして、それを結んでいくのだ。簡単な迷路を延々と繰り返す感じである。さらに、後続の人が自分と違う道を通るという無言の訂正をされると何とも申し訳ない気持ちになる。また、時計と場所を見て休憩場所、時間を決めなければならない。これが肉体的な疲れとは別に、結構疲れるのだ。そういえば、以前、オニオンから「人間が1日に取捨選択できる数は決まっている」ということを聞いたことがある。私はいったい何回取捨選択をしたのだろうか…。

そんな文章を考えているうちに、剱御前小屋についた。昨日とは違い、猛烈に風が吹いており、長い休憩はしていると私たちの体温を奪っていくようだったので、短い休憩の後に剱沢キャンプ場に向かって出発した。

剱沢キャンプ場(正確にはその手前)までくると昨日とは裏腹に剱岳が綺麗に見えた。アマツ○ガツチがすんでいそうというのもうなずける。

それから少し進むと雪渓の上を歩くことになった。足を滑らしてしまうと数百メートルすべり落ちてしまうようなところを歩いた。かなり危なかったがそこからのアングルで見る剱御前は格別に美しかった。また、雪渓の中には穴が開いているところもあり、なかなか面白い経験ができた。

剣山荘に着き、一服剱に向かった。これまでにない険しい岩場でなんとかDという某エナジードリンクのCMで出てくるような場所だった。

足場が狭いため、下りの人とすれ違うために隊が私+女子と残りの男子というふうに隊が二分してしまったのだがそのときにすれ違った方に女子山岳部かと間違われた。私がいたのにも関わらずである。その時私はどんな顔をすればよかったのであろうか。

一服剱に着くと、眼前に雄大な剱岳がそびえていた。
足場が狭いこともあり、剱岳の恐怖も伝わってきた。が、楽しそうな山であることも同時に伝わってきた。将来登ってみたいものである。1学年上の先輩方が一緒ならぜひ登ってみたかったが今回はここで引き返した。怖いし。

慎重に岩場を降り、剣山荘に帰ってくると、鳴門が500円でソルティ○イチを買おうか悩んでいた。結果的に購入して、私も一口分けてもらった。下界に帰ったら買おうっと…。(後にこれにはまることになるのだが、このときの私はまだ知らない。)

この日の行程はピストンだったので、雷鳥坂を下ることになるのだが数百mを下ることもあり、下がっていくにつれだんだん暑くなっていった。しかし、暑いといってもせいぜい10℃後半であろう。今、35℃超の環境下で執筆していることを考えるとなんと贅沢な悩みであろうか。当時の自分をうらやましく思う。

雷鳥沢キャンプ場に到着。これで登山の全工程が終了した。大きなケガ人が出なくてよかった。

明日の帰りに備えて、近くの雷鳥沢ヒュッテで入浴した。

ああ…。三日分の疲労がお湯に溶けていく…。やはりお風呂とはいいものである。どこかで「お風呂は命の洗濯だ」という言葉を聞いたことがあるが、まったくその通りである。外来入浴には700円かかるのだが、倍の値段がかかってもためらわずに入ったであろうほど、価値のある入浴であった。

そういえば、鳴門は面倒くさがって日焼け止めを塗っていなかったな…。彼はどうしているだろうか。 見ると彼は横でニコニコしている。私が「肌が痛くないのか」と問うと、彼は「この痛いのが好きだから大丈夫」と答えた。なんという奴だ。これでは日焼け止めを塗っていたにも関わらず横で肌の痛みを耐えている私の立場が無いではないか。

謎の敗北感を感じながらお風呂を出た。 売店ではジュースやアイスなどが売っており、私は直感に任せて炭酸ジュースを購入した。しかしこれがいけなかった。気圧のせいか、爆発しやすく、お腹の中にたまった二酸化炭素がなかなか抜けず、3分の2あたりを飲み終わったあたりからおいしくなくなってくるのだ。横ではかっぴー、たいちが美味しそうにソフトクリームを食べている。炭酸ジュースを飲む手が止まっている私と鳴門とSIMは「炭酸もおいしい」と少し強がりを見せたが、すぐにアイスを買ったほうがよかったことを認めた。高地で売店を見かけたときは炭酸のジュースを買うのはやめたほうがいいかもしれない。

夕食は炊き込みご飯、高野豆腐、切り干し大根。 パックに詰められたご飯を湯煎してツナ、しょうゆ、ポン酢を入れる。たったこれだけだが、ご飯が進むようになるものだ。高野豆腐は付属の出汁をいれ高野豆腐と乾燥油揚げを入れる。(乾燥油揚げは3袋入れる予定であったが、コッヘルの大きさが足りず2袋しか入れられなかった。)切り干し大根は乾燥にんじんを入れ、火がとおってから昆布、切り干し大根を入れる。しかし、当時の私は何を考えていたのか、すべての具材を一度に水で戻してしまった。結果、煮ている途中で切り干し大根をサルベージしたりとイレギュラーなことが起こった。フライパンを担当したもらった1年女子2人、ごめんなさい。

夕食が終わると、みんなはテントで身辺整理をしたり、トランプやUNOで遊んだり思い思いのことをしていた。そういえば、かっぴーが先述した某エナジードリンクを飲んでいたなあ。どうせなら今日の朝に飲んだらよかったのに(笑)。私はというと、鳴門、たってん、やっすんの(夏山に来ている)2年生全員で談笑を楽しんだ。この2年生4人、なぜか仲が良く、数時間話をしていたのに意外にも話のネタが尽きないのである。時間を忘れ、下界を忘れ、夕日に照らされながら気の置けない友達と気が済むまで笑いあうことができるということは山の魅力の1つなのであろう。

山の端に沈んでいく夕日はとても綺麗で、明日の朝食の準備をしてから、お風呂に入ったこともあり、清々しい気分で床についた。 まあ、明日の朝にはそんな清々しさは残らずに払拭されるのだが。星も見えなかったし。

あとがき

今回の夏山合宿の食料計画の担当は私で、メニューは去年のリーダーのメニューをほぼ流用させていただいた。さすがリーダーのメニューで、私が作っても美味しくできるものだ。(調味料の量などは自分で決めたのだが、それだけでもなかなか大変だった。)春山合宿には自分で新しいメニューを考えたいものである。

一応、私が部長ということもあり、なかなか反省分チックな文章になってしまった。もうパカ兄先輩のような面白い文章を書くことは諦めました(笑)。



5日目:やっすん
4日目の晩から激しい雨が降ったおかげで、音がうるさく、全然寝付けなかった。朝起きると案の定テントが浸水していて、さらにシュラフとエアマットまで浸水してしまっていた。朝ご飯のあと、気合でテントを畳みパッキングをしたが、テントのパーツ全てが雨を含んで重くなっていた。皆ザックが重そうだったが、特にキムは、1mをゆうに超えていそうなザック+ゴミ袋+αで、とても重そうなのは外見から感じ取れた。
雷鳥沢キャンプ場から室堂ターミナルまでの道をかなりゆっくり歩いた。
各々重いザックを持っていたが、先頭を歩いていたキムが見た目からしてしんどそうだった。
2時間弱歩いて室堂ターミナルに着いた。そこで、お土産を見るなどして各々待ち時間を潰した。そこで、久しぶりに水以外の飲み物、りんごジュースを飲んだ。果汁100%のりんごジュースはとても美味しく、フルーツが久しい体に染み渡った。
やっとのことで高原バスに乗ったが、USBケーブルの差し込み口がある座席がとても恵まれていると思った。なぜなら、そこでスマホの充電が出来ちゃうからだ。とても便利なものなのだが、行きの高速バスにはあったのに、なぜか帰りのにはなかった。帰りこそスマホを触りたいのに。
美女平からケーブルカーに乗り、富山地方鉄道(ちなみに鉄道はなかなかの揺れで、スマホの画面を見ていると画面酔いしそうなほどだった)で1時間強ほど乗り、終点の富山駅まで帰ってきた。ここで約1時間の自由時間が設けられ、ちなみに2年4人は揃って富山ブラックラーメンを食べた。店内では大きなザックの置き場に大変困った。
その後は金沢まで約1時間高速バスに乗り、私にとって初めてのサンダーバードで新大阪まで乗った。多分あかねんと私が部員の中で1番サンダーバードの車内を楽しんでいたと思う。途中、車内の種類の少ない自販機に偵察に行った。お茶類の中で唯一綾鷹が置いてあって、やっぱり選ばれたのは『綾鷹』であるとつくづく感じた。新大阪に着くと車内解散となった。


文章:2年参加者一同