平成23年
6月3日金曜日 晴天
県総体登山大会の日である。
今年は大会審査員の諸事情により、
バスに選手をぎっしり詰め込んで例年より早いAM9:00に出発するという。
山岳部の 授業を1〜2時間目だけ(ユニフォームを着て)受けてから大会に出陣する という伝統は失われつつあるのか!?
要らない伝統と語り継がれてきた割に、無くなると何となく調子が狂うものだということが判明した・・・
AM8:00、山岳部部室で装備の最終チェックを済ませ、
AM9:00、バスに乗り込み大会会場へと出発!
バスの中で部長Oと2年HHは知識の勉強、副部長HYと2年Yは天気図のチェックをした。
AM11:30頃、会場である「旧熊次小学校」に到着。
山岳部総体といえば決まってココなのでもう見慣れた風景である。
受付が始まるPM14:00までと、受付を済ませてから開会式が始まるPM15:00まで暇時間が空いた。
おかげでゆっくり昼食をとり、装備品のチェックをし、幕営審査用にグラウンドの土の固さまで下調べすることができた。
初夏の日差しの強い中、いよいよ開会。
まずは審査用の計画書を提出。
PM16:00からは天気図と知識審査だ。
結果はどちらも上々!
知識に至ってはテントに戻ってからの自己採点で満点を確信した。
が、ここで“問題が簡単過ぎた”という事実に辿り着く。
これでは他校と点差が付かないのでは・・・
喜びの中に一抹の不安がよぎった。
続いてPM17:30からの装備審査もオールクリアー。
夕食。焼きビーフン、白米、味噌汁を作って食べる。(やっぱり焼いた焼きビーフンは美味しい。)
さて就寝・・・
というところで部長Oが部員に
「リーダー連絡聞きに行った?」と聞かれる。
焦った。実はその時Oは強烈な腹痛に襲われ、トイレに篭っていたのである。
やってしまった!と思ったが、連絡は臨時のものだったので仕方なかったといえば仕方なかっただろう。
その後K先生から改めて内容を伺い、一応事なきを得たのだった。
6月4日土曜日 晴天 大会2日目
朝会で昨晩弱い地震があったと伝えられる。(熟睡していて何のことやら。)
この日はいよいよメインの体力審査。タイムレースである。
福定の駐車場まで隊行動。
ここから各校対抗で氷ノ山山頂までおよそ16kgを背負って一気に駆け上がり、
1着のタイムから1分遅れるごとに減点という方式だ。
そしてこのタイムレースこそが得点で最も大きいウェイトを占めているのである・・・
悪夢の始まりだった。
カウントダウン開始。
「3・・・2・・・1・・・スタート!!」
各校一斉に走り出す。先陣を切ったのは長田、三田、柏原などだ。
兵庫もこれに遅れてはいけない。
Oを先頭に走る!走る!
しかし異変は東尾根登山口に入る前に起きた。
ここには審査員が控えているため、列の乱れを直そうとOが振り向くと、
Yが必死について来ていたが、HYとHHの姿が見えなかった。
少し待つと追い付いたがこの時点で結構な数のパーティに抜かれてしまった。
…まだまだこれから!その一心で再び厳しい坂を駆け登った。
息が切れ、脚が動かなくなってくる状況の中で、さらに一歩を踏み出す過酷な世界である。
そして稜線に出て東尾根避難小屋を前にしたところだった。
Oが振り向くと、またしてもそこに後続の姿は無かった。
少ししてYが追い付く。
このとき後の二人は既にダウンしていた。
HYに至っては脚をつり、嘔吐までしていたという大惨事であった。
もはや絶望的だった・・・
しかし諦める訳にはいかない。
とにかくOとYで走れるだけ走り、HYとHHには後から追い付いてもらう他無い。
再び走り出した。
しかしとうとう抜かれた多数のパーティに追い付くことはできなかった。
最後の気力を振り絞り、氷ノ山山頂への登頂は果たす。
しかしタイムレースは無念の0点という結果に終わった・・・
こうなれば他の分野で点を落とさないようにするだけだ。
下り行程での読図には注意を払った。
旧熊次小学校に生還。
計量と装備審査を終え、へたり込んでパンを食べた。
続いて幕営審査である。
練習はそれなりにしてきたので10分以内に立てられる自信はあった。
幕営終了。テントを離れて審査を見守る。
すると、ここでも異変が発生していたことに気付いた。
「フライ裏返しじゃない?」
裏返しだった。
このギリギリで少しの失点も許されない時にこの失敗である。
この事は後からテントを見たオープン隊の1年でも気付いたようだ。
審査員が気付かないわけも無く・・・
ここで審査はほとんど終了。
就寝までの時間は「交歓会」ということで、
余分に持ってきた計画書を持って他校との交流を図ってみた。
これまでも幾度となく触れ合う機会のあった長田高校と、
珍しく神戸高校とも交流することができた。
だがその内容はHHが計画書にネタで貼り付けた「ぼ○ぼ○」についての話が
どういうわけか大半を占めたのだった。
6月5日日曜日 晴天 大会最終日
結果発表。
6位、篠山産業高校… 5位、加古川西高校…
…
1位、三田学園高校……
兵庫の名前は、無かった。
兵庫は7位。惨敗だった。
悔しかった。
点数の一覧を見てみれば、タイムレースはやはり0点である。
そして点差を決定的にしていたのは知識、天気図の平均点の高さだった。
見れば幕営や記録帳でも1,2点の失点があったのだが、
仮に、それらが全て満点だったとしても、ギリギリ入賞というところである。
つまりタイムレースで最下位となった時点で結果は決まってしまっていたということだった。
不測の事態も多かったが、全ては日々の練習の成果が出たものである。
それだけは認めないといけない。
これにて閉会。バスに乗り込み学校へ。
バス乗車中、H先輩からメールがあった。
戻ってみるとなんと学校まで出迎えに来てくれていた!
情けなさと申し訳なさでいっぱいになりながら結果を伝えると、
H先輩はそれでも優しい言葉をかけてくれて、アイスまでおごってくれた。
自分もこんなOBになれたら…と思った。
〜後書き〜
まず7位という結果に終わったことは本当に残念だし、
また近畿大会への出場権を得られなかったことを思うと、後輩にも申し訳ない。
今回の敗因は何と言ってもタイムレース。
体力は登山で最も重要な要素であり、しかも大会直前になって頑張ったところで身につくものではない。
また、大会のタイムレースは普段の登山活動と比べてかなり特殊なもので、
速ければ速いほど点差をつけられるというルールのために、必ず「走る」ことが求められる。
今回を振り返ってみれば、経験不足から身体を壊してリタイアという最悪の事態も考えられた。
“大会基準”の練習を日頃から行うことがどれほど大切な事か、再確認できたと思う。
この大会をただの苦い思い出にせず、
たくさんの教訓を学んだと思って、これからの1,2年には頑張ってもらいたい。