画像1 画像2 画像3 画像4 画像5 画像6 画像7 画像8 画像9 画像10 画像11 画像12

山岳部誌1996夏山合宿






'96夏合宿記録.御嶽山GOGO篇

【1日目&2日目 神戸〜木曽福島〜開田高原】
 未明に、夜行列車で木曽福島に到着、駅前にテントを張って仮眠をとった後、午前8時にバスに乗って管沢へ。バスを降りて御嶽山の方角を眺めたとき、本日の幕営地.開田高原に。昼食後、近くの尾ノ島滝に行き、川遊びをした。「今日は他愛ないプーな行程やったなあ。」と、このときは余裕の気分だったのだが、「奴」はよりによって、入浴のため部隊を二分しているときに襲ってきた。「奴」とは、夕立である。我々は昨年の総体以来雨には遭遇しておらず、不慣れだった上に、部隊の半分は傘も持たずに「御嶽明神温泉」に出かけるという始末だった。日頃の雨対策の不十分さを味わった次第である。もっとも、キャンプ場には屋根付きの調理場があり、夕食のボン汁(豚の代わりにボンレスハムを用いる新メニュー)は何とかまともにつくれたのは幸運だった。
【3日目 開田高原〜御嶽山頂〜開田高原】
 本日は本合宿のクライマックス、サブ行動で御嶽山頂を目指すことになる。私にとっては、初めて3000mの大台を突破する日だ。当然、気合が入る、はずだが、どういうわけか、寝坊するものが多く、朝の片付けも手間取ってしまった。未明まで降り続いていた雨もどうにか上がった。5時45分、キャンプ場発。最初は人っ子一人出会わなかったが、登るにつれ、ロープーウェイ客が増えてきて奇妙な気がした。三の池を経由して二の池へ。このあたりの景色は「さすが」という感じで、ロープーウェイをつけてまで観光客を呼ぼうというのもうなづけぬことはないが・・・賽の河原では、1年のK君が、野糞のために遅れを取った。写真を撮ろうとした奴はいたが、待ってやろうという者はいなかった。
 剣が峰(山頂)に10時35分に到着。周りの山々と、噴煙を見晴らす。何と、先生の指差す南東方向には、一目でそれとわかる「FUJIYAMA」が!!
「ここから見える景色、みんな俺のもーん。」などと、YAMANOBOLER’S・HIGHな気分に浸ったのであった。ここには神社と売店があり、可愛い女性が店番をしている。それはもちろん喜ばしいことだが、3000m級の高山とはどこかミスマッチだ。
 その後は、奇岩を眺めながら御嶽山を西周りに迂回して、ついでに摩利支天の往復をやらかし、開田高原へ戻ることになった。かなり長丁場だったが、サブ行動なので何とか皆遅れずについてこれた。何といっても、二晩連続温泉につかれるというのが・・だが、エネルギーの有り余っていた昨日と違い、片道に45分もかかる温泉に行く元気は・・・
【4日目 開田高原〜四の池〜濁河高原】
 今日は、「GO TO HELL!!」と言わんばかりの行程だ。昨日と同じ道とはいうものの、20kgの荷物を背負い、一気に1500mのアップと、1000mのダウンをこなそうというのだ。登りはパーティーの大分裂、下りは膝の大爆笑が予想される。
 テントを撤収し、6時に幕営地を出発、やはり昨日とは足ごたえがまるで違う。肉体的のみならず精神的にも相当つらい登りだったが、みんな黙々と登っている。そんな、けなげな十代の少年たちに、神様がご褒美を下さったのか、私たちの目の前に現れたのは、野生の雷鳥くん親子であった。雷鳥を見るのはこれが最初で最後かな、と思ったりもしたが、実は山上でもう1回見ることになった。
 昨日よりは1時間以上遅れて11時半に三ノ池着。しかも、後続部隊はさらに30分遅れた。先着部隊は、一切遠慮なしに昼飯にする。日頃のトレーニングの成果が、こういうときにものをいうのだ・・・などと考えつつ。三ノ池は、昨日は通り過ぎただけだったが、今日あらためて見ると、青々として神秘的な池だ。どかっと残雪があるところがまたよい。残雪の下には決して入ってはいけないと先生が言われた。昔、K高校の生徒が崩壊した雪渓の下敷きになって死亡したのだそうだ。
 一つの山を越えて、やって来た四ツ池が、これまた別天地のような美しいところだった。高層湿原と呼ばれる状態らしい。こんなすばらしい自然の遺産を決して傷つけてはならない、と思った。高山植物が美しい。ずっとのんびり休憩していたかったが、部隊は12時45分、再び地獄の行進に出発。ここから継子岳までの登りが結構きつかった。途中にはコマクサがたくさん咲いていて、雷鳥もいた。継子岳から縦走の途中、何ともいえない奇岩がごろごろ転がった地帯があった。「これはK君の墓標に違いない」と誰かが言った。午後1時半、飛騨山頂到着。山頂付近にはキャンプ場がないのでその日のうちに下らざるを得ない。ロープーウェイはつくってもキャンプ場をつくらないのは、ちょっとむかつく。これは我々YAMANOBOLERSに対する差別ではないか。
 下りの道は、わざわざ敷いてある木の板が、かえって滑って下りにくかった。尻餅組が続出した。かれこれ下ること2時間ほど、濁河に到着してキャンプ場の場所を尋ねると、温泉街から2kmほど下ったところにあるスキー場だという。先に風呂に入ることに決め、町営の公衆浴場にむかう。中には大きなアブがブンブンであったが、顧問のS先生は裸で蠅たたきを振り回し、アブ退治にハジけていた。なかなかいい湯だった。キャンプ場に着いてみると、他に客は誰もいない汚い斜面である。第1印象はあまりよくなかったが、キャンプファイアーをやってもいいという一言に我々は燃えた。H君を先頭にあたりに転がっている廃材や薪を集め、ファイアーストームがたちまち築かれた。夕食がすむともうあたりは真っ暗で、いよいよ点火である。炎に照らされて反省会を行った。みんなの気持ちが一つになった。顧問のH先生がこの合宿後、1年間のアメリカ留学に行かれるので、その送別会でもあった。H先生、お元気で。
【5日目 濁河温泉〜飛騨小坂〜神戸】
 この日はバスが出るまでは自由行動であった。2年生はまたしても水遊びに仙人滝に出かけた。冷たい水に打たれて、「修行」の気分を味わった。1年生バス停でトランプばかりしていたようだ。飛騨小坂までのバスは、ほとんどみんな爆睡していたが、私は不覚にもバス酔いしてしまった。途中の展望台から御嶽山を眺め、「よくあそこまで登ったなあ。」とみんな思ったことだろう。




VISITOR